学生時代お金がなかった

 私の学生時代は楽しいだけでは表現できない時代でした。もちろん友人と遊んだりサークル活動をしたりと、楽しい思い出もあります。しかし、その楽しい思い出以上にお金がなくて苦しんだことを思い出すのです。私の家は貧乏というわけではなかったのですが、裕福でもありませんでした。

そのため奨学金を借りて、私も毎月一定のお金を家に入れないと大学には通わせてもらえませんでした。また、私は一人暮らしをしていたので、私自身の生活費を稼ぐ意味もあって毎月たくさんのバイトをしていました。居酒屋のバイトから派遣のバイトまで様々なバイトをして、大学の授業料と生活費を稼いでいたのです。

 大学の生活に慣れてくると、バイトもそれほど苦にはならなくなりお金にも困ることはなかったので、私はサークルに入ることにしました。しかし、ここから私の生活が変わっていきます。

私は野球サークルに所属しており、チームメイトとともに練習したり試合をするのは楽しかったですが、サークルでは飲み会や友人との食事などそれまでかからなかった出費が増えるようになりました。また、野球をするための道具も私自身で用意しなければならなかったので、その道具のためのお金もかなりかかりました。

そうして私がバイトで稼いだお金がどんどんなくなっていき、貯金も底をついていきました。サークルをやめようと思ったのですが、周りとの関係を考えたり、大学の思い出のことを考えるとやめることができませんでした。私は、結局生活費を減らすことにし一日で使っていい食費を200円にし、朝ごはんと昼ご飯しか食べていませんでした。また、水や電気も最低限しか使わないようにし、とにかく節約を心がけました。

 
そのおかげで何とかサークルは続けられたものの、不健康な生活を続けていたからか、体重がかなり減りました。大学時代のサークルは思い出になったものの、節約をしていた苦しい生活の方が私の記憶には残っています。

借金生活は我慢の生活!我慢を楽しむコツと考え方

人生再スタート!本気で不労所得を狙うなら2年

僕はこれまでの人生を暗く自暴自棄で過ごしてきました。ただ時間が流れていくことに身を任せ、周りに流されて生きてきました。

20代も後半に差し掛かり、これまでの人生を悔いると同時に、師匠から頂いたコピーライターに向いているという言葉に救われ、そこから本当の意味でも僕の人生が再スタートしました。

しかし現実は甘くはありませんでした。そもそも求人募集すら少なくかつ経験者でなければ応募すら出来ません。その度に何度も絶望して諦めそうになりました。実際に諦めて空白期間もありました。

しかしなりたい気持ちも強く、行動し続けることにしました。

殆どは書類選考で不採用となり、何度か面接に呼ばれ、採用を勝ち取れそうな気がしても、結局不採用になり、心がおれるばかりでした。
コピーライターを目指して丸4年が経ち、夢も希望もなく、すぐに諦めてしまう僕がここまで一つのことに気持ちを持ち続けられたことで僕は変われたのだと思いました。

その過程で色々な人と出会い、考えが甘いと叱責され、年齢を指摘され、やんわりと諦めるように諭されることもあり、悔しい思いもたくさんありました。そんな時でもなりたい自分を手に入れて、充実した人生を生きることが勝っていたので、頑張れました。

それでも現実は残酷で生きていくために収入を得る必要があり、いつまでもライターに固執する訳にはいきません。本意でないものの、先ずは目先の収入を確保することを優先して行動しました。そして実践したことで、心にも余裕が出てきて、ライターになる目標を強く意識することが出来ています。

最近、掛け持ちではありますが、ライターとして働くことが決まりました。まだ実感は沸かないものの、内心、興奮が収まらず、これからの自分自身を頭の中で思い描きました。

正直この先、僕はライターになれるかどうかは分かりません。しかしながら、諦める必要はないので、気負わず今後も目指していこうと思います。

不労所得は地道にやるしかなくて、2ヶ月後、3ヶ月後になるかもしれないからね。

大学時代のバレー部で過ごした青春について

今まで中学、高校とバレーボール部に所属していました。大学になってからはもうバレーはしたくない!と思っていましたが、サークル等のゆるっとしたところに入る気になれず、結局バレーボール部に入ることにしました。

大学のバレー部には顧問がいません。これは私の部活人生で初めてのことでした。そこで自分たちで練習やトレーニングメニューを決め、お互いに意見を言い合いながら活動をしました。もちろん大学生ということもあり、アルバイトの時間も取る必要がありましたので、毎日練習をすることはできませんでしたが、基本的には毎日活動するよう努めました。

まず始めに私たちがしたことは、目標を明確にすることです。私たちの地方ではリーグ戦が行われており、全7部で構成されていました。私たちが入部した当初は5部でした。

私たちが定めた目標は2部です。なぜ1部ではないかというと、1部は高校時代のエースが特待で大学から呼ばれていた人たちで結成されていたからです。そのため、私たちのレベルから目指せる最高を2部として設定しました。5部から4部へは昇格できましたが、そこからがなかなか先へ進めません。

4部で優勝した場合、3部の最下位チームと入換え戦をし、それに勝つと3部へ昇格できます。顧問がいないことから、試合で崩れたときの軸がなかなかできておらず、本調子でないまま負けてしまうことがほとんどでした。4部では毎回優勝することから、悔しさも倍です。

ただし、いいところで負けてしまうのは自分たちの弱さだと言い聞かせ、負けない強さを身につけるようさらに練習に励みました。

私はチームの土台となるリベロをしていました。バレーは3回ボールに触ることができますが、1回目にボールを触るスペシャリストとしてリベロはコートにいます。

入学当初はいいプレーができる試合とそうでない試合の差があり、自分でもどうしていいプレーができたかいまいちわからないままでした。最初にボールを触るプレイヤーが下手では、その立て直しをする必要が出ていい攻撃ができません。私は自分のプレーにブレが出ないよう徹底的に自主練習することにしました。

まず、自分のプレーを見てもらうことです。幸い強豪校でプレーした選手がいたので、見てもらい何ができていないかを分析しました。私は臆病でボールに飛び込むことが苦手だったので、前に体を動かす練習を何度もしました。

次は実際にボールを使います。練習に付き合う人には辛い時間だったかもしれませんが、何度も何度も練習をし、ボールに触るところから始まり、最終的にはレシーブを上手に相手に返せるようになりました。チームの合同練習でもその力は発揮され、ボールを落とさないプレーヤーとして、チームを盛り上げることができました。幸い私のキャラクターはチームのムードメーカーだったため、キャラクターとプレーがマッチしました。

このように各ポジションの選手が皆、自主練習で力をつけたのでここからは面白いように勝つようになりました。気づいた頃には、入学当初は負けていた周囲の大学には負けないようになりました。勝つと自信にもつながりますし、今までしていたことが間違いでなかったと実感できます。また、気持ちが全然違うんです。

あんなに苦労した3部へも簡単に昇格し、その後続けて2部にも昇格しました。2部昇格の際の感動は今でも覚えています。

このような達成感が大学で得られるとは思っていませんでした。それもこれも顧問がいないことから、選手全員がどうすればいいかを考え、行動に移した結果だと思います。大学で過ごした4年間は、私にとって大切な大切な青春です。